日常における断片的な生_2025 A Fragmentary Life in the Everyday_2025 日常における断片的な生_2025 Photography: Shumpu DoiCooking: Rempei Doi 昨年末に私たち家族に起きた出来事をきっかけに、私たち家族を取り囲んできた音楽や、日常における断片的な営みを通じて、自身の個人的体験と歴史的・社会的文脈に内包された他者の個人体験の結節点を見つめ、そして生き続けることを決意し、人生を愛することを目指して調査・思考・表現するプロジェクトを開始しました。本作「日常における断片的な生_2025」はその過程のひとつとなります。私たちは食べるという基本的な営みへの責任について、それを母が1人台所に立ち、担ってきたことに長い間無自覚であった。母は生きるために食べることに向き合い始めた。それは営みそのものに向き合うことであり、己の身体とそれを取り囲む環境や社会との関係性をも見直すことである。巨大な資本や、手に余るほどのエネルギーによって拡張された生活様式から自分たちの手で、営みのリズムを取り戻すことは可能なのだろうか。他者に委ねてきた生の責任を、自分たち自身のリズムで紡ごうとすることからはじめてみたい。巨大なエネルギーによって拡張された場のひとつであり、母がひとり立ち続けた台所から。家事を担うことなく育った子どもたちが母の得意料理であるタコスをつくり、母や友人たちと食べる様子を録音し、それらの音のみを音源として使用し、作曲した。自分たちの営みを自分たちのリズムで奏でること、そのリズムはどんなものを私の身体に刻むのか感じたくて。